
キャッチ。
伊藤さん、バトンを受け取りました。
冷房の効いた室内と近年とりわけ気候変動によって過熱している屋外とで、寒暖差の激しい日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
ノーコードテストツールのバトンは画鋲付きで渡した気分でした。
しかし、誠実に答えてくださり、ありがとうございました。
テスト自動化は運用が大切、というのは私自身、伊藤さんから繰り返し学んでいたことでしたね。
そして、ノーコードかコードベースかといった軸とは全く違うパラダイムの進化というのは大変示唆的です。
そもそも生成AIの多くは、LLMにチャットというインターフェースを使って接続するものです。チャットを組み込んだことはLLMにおける大きなUXの発明です。
しかし、これは今では当たり前になり、誰もそのことを意識しないようになってしまいました。これもパラダイムの進化だと思っています。
それでは、受け取ったバトンを見てみます。
非常に鋭く、かつ本質的な問いがありますね。
伊藤さんからいただいた「テスト自動化は本当に『当たり前』になったのか」「なぜ冷静な視点が必要なのか」という2つの問いについて、私の視点からお答えしつつ、これからの自動テストが向かうべき新たなパラダイムについて考えてみたいと思います。
「当たり前」の現在地
伊藤さんからの最初の問いである「幅広いコミュニティから見て、テスト自動化は本当に当たり前になったのか」について。
私の実感としても、テスト自動化が前提の技術として扱われる機会は確実に増えていると感じます。
プログラミングやアジャイルの文脈を問わず、様々なカンファレンスで自動テストに関するセッションはありますし、「今だからこそ、確かなテストや品質保証が大事である」という共通認識は、かつてないほど高まっていると感じます。
そういった背景もあって、私が「QAエンジニア」あるいは「テスター」という肩書きのまま、受け入れられているという側面があります。
こういった、テストの専門性を受け入れるような”暖かい”雰囲気がある一方、冷静に見極めなければならない「ズレ」があるとも考えます。
世間で当たり前になりつつあるのは、あくまで「どうテスト実行を自動化するのか」に留まっているケースが多いのではないか、ということです。
プロダクトの特性やコンテキストを分析し、合理的なテスト計画と設計に基づき、真に必要な活動を「自動テスト」として成熟しているかというと、そこにはまだ大きな隔たりがあるという肌感覚があります。
(これに対しては、いわゆる”テストエンジニア”による歩み寄りが必要で、その歩み寄り方に自体についてもきちんと向き合って考えるべきことだと個人的に思っていますが、ここでは深入りしません)
伊藤さんが指摘された「生成AIという次のブームに押し出されて、自動化の流行りが落ち着いた(ように見える)」という視点は的を射ていると感じます。
これは私自身にも言えることですが、私たちは「知ったつもり」になるのをやめ、その当たり前の中身を問い直さなければなりません。
なぜ「冷静な視点」が必要なのか
私は手動テストの設計時のような「冷静な視点」が必要だと伝えました。そのまま返ってきましたね。
現在、生成AIの台頭によってプロダクトコードが大量かつ高速に生み出されるようになりました。
これに伴い、現場では「開発スピードに合わせて、テストも急いで大量に作らなければならない」という焦燥感のようなプレッシャーが生まれているように感じることがあります。
他方、プレッシャーとは逆の視点で、「難しいコードを書かなくても実装できるぞ!」という熱を垣間見ることもあります。
以前、テストマネジメントの記事でも述べたことですが、私は「コストや期間の制約を考えれば、テストは極力すべきではない(最小限に抑えるべきである)」というのを基本的なスタンスとしています。
むやみにテストを自動化し、ただコードの量を積み上げることは、それこそ運用の破綻を招くだけだと考えます。
ここで問われているのは、大量生産への追随ではなく、「何をテストすべきで、何をテストしなくてよいのか」を見極める、本質的なテストマネジメントの力に他ならないと考えています。
これはプロダクトコードにおけるプロダクトマネジメントの考え方にも通じるものがあります。
生成AIを発端とする熱狂や過剰な期待にただ熱くなるのではなく、事実に基づいてソフトウェアテストの責任をどう果たすか。
これが私の考える「冷静な視点」です。
生成AIがもたらすリアルな制約
ここで、現状の生成AIを使ったテストの「リアル」についても触れておきます。
今後、テスト自動化の現場は「コードを書く」ことから「プロンプトを書く」ことへとシフトしていく可能性が高いです。実際に、BDD(振る舞い駆動開発)のようなプラクティスも再び注目を集めています。
しかし、現状の生成AIを組み込んだテスト運用には、実行時間の制約や、スケールさせた際の予算的な制約が存在します。
その他、並列処理のための最適化などの自動テスト実行環境を綿密に整備しないかぎり、AIによるテストの量産は現実的な運用に乗せられないというのが2026年7月の私の見解です。
ただし、この予算やリソースの制約をクリアした先、あるいは「価値がある」と計算し切れた先には、全く新しい展望があると考えています。
制約を乗り越えた先にあるgTAAの気候変動
その展望とは、組織が集めたプロファイルや顧客データなどに基づいて、品質特性の質感(代用特性としての確らしさ)、つまり「品質が良さそうだ」と判断する根拠に対する感覚が今とは全く異なったものになることです。
※この意見はスクラムフェス新潟2026のきょんさん、nacoさん、じゅんぺいさんの以下の発表とその後の対話から、私なりに受け取り、解釈したものです。
そして、自動テストの文脈で言えば、JSTQBのテスト自動化エンジニアシラバスで定義されている「gTAA(汎用テスト自動化アーキテクチャ)におけるテスト生成レイヤー」の構築がより簡単になると考えます。
参考:https://jstqb.jp/dl/JSTQB-Syllabus.Advanced_TAE_Version2016.J01.pdf
これは、gTAAにおける水平レイヤーそれぞれで生成AIを使ったパイプラインを使用し、例えばテスト生成レイヤーの出力をそのレイヤーの中で検証し、それぞれのレイヤーで確からしく実装まで繋がっていく様子をシームレスに確認できるような、発展した形の汎用テスト自動化アーキテクチャです。
そして、生成AIが当然に用いられるプロダクト開発において、「決定論的に見極められる事実を確認する」という意味でテストが重要視されるでしょう。
※これは冒頭で話した「今だからこそ、確かなテストや品質保証が大事である」の単なる言い換えでしかありません。
「生成AIを活用する」という目的で作るTAAは、「手動テストをただ単に自動化する」という、かつてのテスト自動化の熱狂と同じ構造を持っているのではないでしょうか。
もちろん、それが学習の途中で辿る道であり、私もその中にいることすらあると思っています。
テストが持つ本質的な役割を理解した上で、それをどう生成AIと統合していくかということが、今後の”冷静な”論点になりうると考えています。
そして、その論点を踏まえた上で、自動テストは新しいパラダイムでの「TAA(テスト自動化アーキテクチャ)」を語る熱量が上昇するのではないか、と考えています。
伊藤さんへのバトン
単にテストを自動化する・コードを生成するという次元を超えて、システムや組織のデータそのものをインプットとした「TAAの再定義」という変化が来ているという私の見通しがあります。
ここで、MagicPodのエヴァンジェリストであり、ISTQB Advanced Level Test Automation Engineerの翻訳者のひとりである伊藤さんに、ぜひ最後のバトンをお渡ししたいです。
- 生成AIが前提の開発において、自動テストアーキテクチャ(TAA)にはどのような変化があるのでしょうか?
- そういった状況の中で、テストエンジニアは、ソフトウェアエンジニアリングの世界にどのような良い影響を与えうると見通されていますか?
- 私の上記の見解もまた、冷静ではなかったりしますかね?←これには答えなくていいです。
一人の専門家としての見解を、ぜひお聞かせください。

