
伊藤さん、往復書簡ありがとうございました。
この連載では、ある種「本質は変わらない」と思われるような達観的な流れになりましたね。
そして、熱狂と冷静の間にあるもの、この大切さも今は身に沁みてわかっています。
技術や仕組みの成熟を点で見るのではなく、連続的な状況の変化を繋ぎ、線で感じとること。
これもまた、テストで大切にされている「コンテキストを理解する力」だと思っています。
これは、ある種、「その場で起こることを歓迎し、生成的なものに繋げる」というプロセスワークにつながるようなものの見方だと思っています。
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成熟の過程で起こることを「冷静に」捉える
私自身もその途中にあるように、初心者から成熟までには大きな差があります。
自身の成長を実感しては喜び、ふと目の前を見ると、未知の壁に直面して挫折感を味わいます。
私はこれを何度も経験してきました。伊藤さんもそうかもしれませんね。
この連載で私が投げかけた「冷静な」という言葉の意図を、伊藤さんは鋭くキャッチされましたね。
この言葉の裏には、一見すれば相反する願いがあったことに気づきました。
それは、「成熟の過程を冷笑的に受け止めたり、発信するようなことはしたくない」ということです。
そして、結果的にその私の隠れたシグナルを受け取る、ある種の懐の広さが伊藤さんにはあったのでしょう。
伊藤さんとの往復書簡は私の想定を上回る奥行きのあるものでした。
その見えない繋がりを実感して、画面の前で「しめしめ」と一人ニヤついているのでした。
生成AIと新たな自動テストの形
生成AIを活用したとして、gTAAの基本的な構造は変わらないというのは同意です。
しかし、伊藤さんが例に出された「Bug Detection Layer」というのは面白い概念だと思います。
一般的に、あるいは私自身も「テストに正解などない」「テストはコンテキスト次第」などと表現することがあります。
一方で、この前提がひっくり返るとき、具体的にはテストオラクルが、より確からしいものになることかもしれません。
その時に我々、今を生きるテストエンジニアは、今まで学んだことや前提を「いかに手放すか」が問われるかもしれませんね。
その時が楽しみで仕方ありません。
テストエンジニアが担うバランサーとシステム思考の接続
テストエンジニアがブレーキやバランサーになるという話は、実は最近私が注目しているテーマと面白いように重なります。それが、システム思考における「自己強化型ループ」と「バランス型ループ」です。
システム思考が目指すことは、実は過剰に成長、あるいは減衰するシステム(過剰な自己強化型ループ)にバランスを取り戻し、長期的に持続可能な状況(バランス型、あるいはゆるやかな自己強化型ループ)にしていくことです。
これはまさに、里山のように絶えず手入れを続ける営みだと言えます。
ここで、私が以前から強く主張しているテストエンジニアの専門性——テスターは「現実を見る専門家」という考え——と接続してみようと思いました。
「テストエンジニアの貢献は、”現実”のフィードバックを適切に行い、持続可能なバランスを保つこと」
そう考えた時、システム思考の言葉でテストエンジニアの働きを捉えると、「情報フローの設計」や「時間的遅れ」(これはシステム全体において何らかの傾向が見えやすい形に現れるのは、問題が起こっているその時ではないという考え方です)をどうしていくか、ということになると考えています。
追伸:残された問い、答えのなさ
ここから先はもう、伊藤さん個人との対話のための文章ではありません。
この問いはこれを読んでいるあなた、あるいは書いている私自身に向けられています。
いま、私のなかではこういった問いも生まれています。
- 「テストエンジニアである私は、本当に何かのバランスを保つことができるのだろうか?」
- 「そのバランスには、役割や職能に紐づいた何らかの傾向性(エゴ)が潜んでいないだろうか?」
実はこの問いは、テストエンジニアに限らず、多くのシステムシンカーにも投げかけられる問いだったりします。
この「バランサー」という表現に強く共感しつつも、普段の仕事の中で、「私にそれだけの実力があるのだろうか」「それができる関係性を周囲と築けているだろうか」と自問することが多くなりました。
かつて、にしさんは「テストとは納得してもらうことである」と語りました。
参考:https://www.aster.or.jp/business/contest/contest2013/pdf/kansai_2012_keynote.pdf
私はこの言葉に深く賛同しています。
そして、その発言から10年以上経った現在、私はその難しさに直面しています。
“納得感の醸成”
これが可能なほど私は論理、認知、人、関係性——あるいはそこに映る自分自身——に向き合ってきたのだろうか。
「バランスすること」、これは本当に手に負えるものなのでしょうか?
それを実現するのは、論理的なテストの技術かもしれません、建設的な対話かもしれません、心理的安全性のある場かもしれません。
もしかしたら、ひょっとすると、アーノルド・ミンデルがそうしたように、踊りや歌や散歩だったりするかもしれませんね。
参考:https://eijipress.co.jp/products/2355
私は、こうして問いを投げかける行為自体が、すでに私の傾向性(エゴ)から生まれていることの矛盾に静かに気づいています。
Connected the Dots
問いに答えようとするとき、私はたびたび何か別の場所から答えを探し、見つけることがあります。
自動化について問うとき、この連載で伊藤さんをお呼びしたのも、その一つかもしれません。
あるいは、自動化から離れ、「バランス」という考えに対して、システム思考を持ち出したのもそうでしょう。
その先に、私は論理で捉えきれない繋がり、例えばコーチングやプロセスワークなどから立ち現れる身体知に通じるものがあると考えています。
これを繋がりと捉えるのか、支離滅裂な飛躍と捉えるのか、それはそれぞれの方に委ねたいと思います。
この往復書簡では、伊藤さんは私の意図を深いところまで汲み取ってくださり、鋭い洞察のもと、誠実に返信してくださいました。
今回はSqriptsでの連載という、単なるブログのやりとりではなく、比較的フォーマルな形式をとっています。
お互いに内容を打ち合わせることなく、(驚くことですが)AGESTの方の意向を伺うこともなく、自由に考えを交換しました。心から感謝しています。
いま私は、この企画を始める前には思ってもみなかった価値を感じています。
これが「繋がり」(あるいは多様性と表現されるもの)の面白さだとも思っています。
もしこの一連の記事を「面白い」と感じた方がいらっしゃれば、私は、こういった繋がりはありふれたものだと伝えたいです。
我々一人ひとりの専門家の点が繋がるだけで、そこには大きな可能性が広がるのです。
そういったことが頭に浮かぶような連載でした。

