【第3回】『具体と抽象』から見る、デザインと直感
<【連載】具体と抽象を往復しよう! 記事一覧>※クリックで開きます

はじめに

前回の記事では、分類学という一見するとソフトウェア開発やQAとは遠い学問を手がかりに、「抽象化とは、複数の具体から共通する本質を抜き出し、名前を与えることだ」という話を書きました。

クジラとカバが近縁であることは、見た目という具体だけを見ていてはなかなか気づけません。しかし、胃の構造や反芻の有無、DNAといった、より本質に近い特徴を比較していくと、そこには別のグルーピングが見えてきます。つまり、世界をどう切り分け、何に名前をつけるかによって、見える景色は変わるということです。

そして、その話を通じて私が書きたかったのは、単に「抽象化は大事だ」ということだけではありませんでした。重要なのは、何を抽象化するのかを選ぶこと、抽象化したモデルを疑うこと、そして具体と抽象を往復し続けることでした。

今回の記事では、その続きを書いてみたいと思います。

前回は主に「分類すること」「グルーピングすること」「共通する本質を抜き出すこと」に焦点を当てました。今回はそこから一歩進めて、抽象と具体の往復が、実際の仕事の現場でどのように働いているのかを見ていきます。

今回は、デザインと直感を取り上げます。

一見すると、デザインと直感はまったく別の話に見えるかもしれません。しかし、どちらも抽象と具体を往復する営みです。

デザインでは、ユーザーの頭の中にある抽象的な期待を、具体的なUIへと落とし込みます。直感では、過去の具体的な経験から抽象化されたパターンを使って、目の前の状況を素早く判断します。

前回は「分類学と抽象化」でした。今回は「抽象化されたものが、現実の行為や判断にどう作用するのか」を見ていきましょう。

具体と抽象とは何か

まずは改めて、具体と抽象という言葉を確認しておきます。

具体とは、目の前にある個別の物事や、実際に手で触れたり目で見たりできる特定の事象のことです。抽象とは、複数の具体的な事象から、共通する規則やパターンを取り出し一般化した考え方のことです。たとえば「リンゴ」「みかん」「バナナ」は具体で、それらに共通する「果物」という括りが抽象にあたります。

前回の記事では、分類学を例にこの話をしました。個々の動物は具体ですが、「鯨偶蹄目」や「反芻亜目」といった名前は抽象です。名前をつけるということは、世界に対して「ここまでは同じものとして扱おう」という線を引くことです。これは非常に強力な営みです。

『具体と抽象』という本があります。最近、AI時代や現代に合わせて新しい解釈の本が出版されました。この本は、この具体と抽象を行き来する力について書かれています。個別の事象から共通のパターンを見つけ出す力、すなわち抽象化の力と、抽象的な考えを個別の行動や成果物に落とし込む力、すなわち具体化の力。この両方が、仕事や思考のさまざまな場面で使われていることを説明しています。

前回の記事の最後でも触れましたが、抽象は応用が利く一方で、必ず何かが欠けています。複数の具体的な事象から共通する規則やパターンを取り出している限り、それは構造(すなわちモデル)になって現れます。モデルは便利ですが、現実そのものではありません。ガンダムのプラ「モデル」がガンダムではないように。だからこそ、抽象を使うだけでなく、具体に戻る力が必要になります。

今回の記事では、抽象が具体に形を与えるデザインと、抽象化されたパターンが思考を速くする直感について見ていきます。

ここから先は、それぞれ別のテーマの話をしているようでいて、実際には同じ軸の上にあります。抽象は、ただ概念として頭の中にあるだけでは価値を持ちません。具体に降ろされたとき、あるいは具体的な状況を判断するために使われたときに、初めてその力がはっきり現れます。

まずは、その最もわかりやすい例として、抽象が具体に形を与える営みであるデザインから見ていきます。

抽象はどう具体化されるのか:デザインという翻訳

前回の記事では、具体から共通する本質を抜き出して抽象化する話を書きました。今回はその逆向き、つまり抽象を具体に落とす営みとして、まずデザインを見てみたいと思います。

人間は、「物理世界(目に見えて、触れることができる現実)」と、「精神世界(頭の中の思考や概念)」という二つの世界を同時に生きています。UI/UXデザインは、まさにこの二つの世界をつなぐ行為です。

精神世界には、ユーザーの「こうしたい」という目的があります。期待があります。過去の経験からくる思い込みがあります。これがいわゆるメンタルモデルです。

一方で、物理世界には、ユーザーが実際に目にして操作する画面上のボタンや入力欄、アイコン、色、配置といった具体的なUIがあります。

優れた体験とは、この二つの世界がなるべくギャップなく接続されている状態を指します。頭の中で思い描いたことが、そのまま自然に操作として実現できる。ユーザーが「考えなくても使える」と感じるとき、その背後では抽象から具体への変換がうまくいっています。

デザインとは、ユーザーの頭の中にある抽象、つまり期待、心理、意図を、目に見える具体的なUIへと変換する行為です。

善なる具体化は期待を形にする

見出しに書いた「善なる具体化」とは、ユーザーの抽象的な期待を、自然に理解できる具体へと落とし込むことです。

たとえば、「押せるものは押せそうに見えるべきだ」という期待があります。これは抽象です。ユーザーは頭の中でそうしたルールを持っています。これを具体に落とすと、ボタンに立体感を持たせたり、ホバー時に色を変えたり、押せない場合にはグレーアウトしたりするといったUI上の表現になります。

つまり、「押せる/押せない」という抽象的な区別は、ボタンの影や色、余白、シグニファイアといった具体によって表現されます。抽象と具体がここでつながるわけです。

前回の記事で言えば、これは分類学とは逆向きの動きです。分類学は、たくさんの具体から抽象をつくります。一方、デザインは、頭の中にある抽象を、操作可能な具体に変換します。方向は逆ですが、どちらも本質を扱っているという点では同じです。

デザインによって抽象的な期待が適切に具体化されると、ユーザーは操作方法を一つひとつ論理的に考えなくても済むようになります。見た目や配置、挙動から「これは押せる」「ここに入力すればよい」と判断できるからです。

つまり、良いデザインは、ユーザーの思考を具体的なUIの中に埋め込んでいるとも言えます。

悪しき具体化は諦めを形にする

しかし、具体化は常に善とは限りません。

ダークパターンとは、前述したユーザーのメンタルモデルを意図的に裏切ることで、「諦め」や「勘違い」や「誤操作」といった心理状態を誘発するために設計された具体的な仕掛けです。

たとえば、ユーザーは「解約ボタンはアカウント設定のどこかにあるだろう」と考えます。これは抽象的な期待です。ところが実際には、解約導線が複雑に分岐していたり、文言が意図的に曖昧にされていたり、異常に小さなリンクになっていたりすることがあります。

これはユーザーの抽象的な期待を形にしているのではなく、裏切っています。そしてその結果、「もういいや」「探すのが面倒だ」という行動を引き起こしてしまうのです。つまり、ここでは「諦め」という抽象的な心理が、具体的なUIの設計によって作り出されているのです。

デザインとは、単に見た目を整えることではありません。抽象をどう具体化するかという営みということなのです。

ユーザーの期待を具体化するのか。それとも、ユーザーの期待を裏切った具体化をするのか。同じ「抽象から具体への変換」であっても、そこには大きな違いがあります。

このように、デザインは抽象的な期待を具体的な形へと翻訳する仕事です。そして、この「抽象を扱うこと」が力を発揮するのは、UI設計だけではありません。

抽象化されたパターンは、成果物をつくるときだけでなく、目の前の状況を素早く判断するときにも使われています。

次に見たいのは、抽象が思考そのものをどう変えるのか、という話です。

抽象は思考を速くする:直感と大局観

デザインの話では、抽象的な期待を具体的なUIに落とし込む営みを見ました。しかし抽象の力は、成果物を形にする場面だけで発揮されるわけではありません。人が素早く判断するときにもまた、抽象化されたパターンが大きな役割を果たしています。

前回の記事では、抽象化すると応用が利くと書きました。なぜなら、複数の異なる事象のあいだにある共通のルールを取り出せるからです。

これは、単に説明が上手になるとか、整理ができるといった話だけではありません。思考の速度そのものにも影響するのです。つまり、具体と抽象をうまく扱える人は、頭の回転が速く見えます。

頭の回転の速度は生まれつきの処理速度とは限りません。法則やパターンを認識していることによって、毎回ゼロから考えなくて済むこともあるのです。

1. 法則の認識と、「直感」

法則やパターンを認識する、つまり複数の具体的な経験から共通の規則を抽象化して持っておくと、思考は高速になります。これは、繰り返し行われる論理的思考が脳に定着し、意識せずとも使える「直感」へと昇華されるためです。

将棋で有名な羽生善治さんが、こんな言葉を残しています。

続きを読むにはログインが必要です。
ご利用は無料ですので、ぜひご登録ください。

SHARE

  • facebook
  • twitter

SQRIPTER

北村 駿(きたむら しゅん)

記事一覧

元バンドマン・元バーテンダーのQAエンジニア。現在はとあるQA組織の内製化とQAテックリードを担いながら、ピープル・ワーク両面でマネジメントも奮闘中。

Xアカウント: https://x.com/max_qae
Zenn: https://zenn.dev/max_qae

RANKINGアクセスランキング
#TAGS人気のタグ
  • 新規登録/ログイン
  • 株式会社AGEST
NEWS最新のニュース

Sqriptsはシステム開発における品質(Quality)を中心に、エンジニアが”理解しやすい”Scriptに変換して情報発信するメディアです

  • 新規登録/ログイン
  • 株式会社AGEST